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名もなき黒猫の散歩道

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研究と芸術と。

こんにちは、黒猫です。先日、こちらの知り合いとお食事した際に話したことを書き留めておきたいと思ったので、この記事を書くことにしました。


なぜ、研究するのか。なぜ、僕はいま、アカデミック領域で研究したいと思っているのか。

正直に言って現在の僕は、自分が研究能力の高い人間だとは思っていません。アメリカまで来ているくせに何を言っているんだ、と思われる方も多いかも知れませんが、今までに挙げてきた研究成果は、今までにいた研究室の先生方のご尽力と、ちょっとした運のおかげだと僕は感じています。特にアメリカに来て、たくさんの本当に研究能力が高い人(日本人も外国人も)とふれ合ってから、より強くそう感じるようになりました。ただ不思議なことに、自分のことが惨めになったわけではありませんでした。もしかすると、みんな研究テーマがバラバラのため、本当の実力差はわかりにくい環境だからなのかも知れません。もしかすると、僕のレベルが低すぎて他の人の本当の実力が見えないだけなのかも知れません。もしかすると、僕の性格が以前より丸くなったのかも知れません。いずれにせよ、僕は客観的に見て研究能力の高い人間ではないことに、冷静に気付くことができました。

しかし、研究能力が高くないとわかっているのにもかかわらず、相変わらず僕はアカデミック(大学)の研究者になりたいと感じるのです。なぜか。それはおそらく、僕は自分の研究ではなくても、研究という人間の一種の表現行為がとても好きだからなのだと思います。

音楽や絵画は誰もがたやすく芸術として解釈することができる表現のひとつですが、研究成果もまた芸術的な表現のひとつだと僕は捉えています。音楽や絵画を生み出す時、表現者は時空間に潜む非言語的で美しいものを見つけ出し、その表現者が得意な表現手法で他者にわかりやすく伝える、という行為を行っていると考えれば、研究成果を世に出す時、自然の中に潜む明文化されていない物事に名前や文脈を与え、他者にわかりやすく伝えているという点で、研究成果もまた一種の表現行為の産物であるように僕は思うのです。となると、研究者は一種の芸術家であり、研究を行うことは絵を描いたり音楽を奏でることに類似していて、自他問わず研究成果を楽しむことは、絵画や音楽を楽しむこととそう遠いものではないのかも知れません。

僕はとても芸術が好きです。ひとつしか選べないのであれば音楽を選ぶ人間ですが、絵画も好きで、ひとりで美術館に行ったりもします。鑑賞するのが好きなだけでなく、何も考えずにただひたすらギターを弾いたり、パソコン上や紙上に落書きをすることも好きです。正直、僕にもしも類い稀なる音楽や絵画の才能があれば、僕は迷うことなくその道を志していたでしょう。しかし、そんなものは残念ながら僕には備わっておりませんでした。そこで、僕には研究なのです。研究というものは芸術の一つですが、音楽や絵画に比べて努力で挽回できる側面が強くあります。多少努力すれば誰でも平等に、研究の最先端を見ることができますし、先の先まで来てしまえば、あとは見渡す限り漆黒の闇が広がるだけなので、その闇から何を感じ、そこで何をどう表現しようと、とりあえずは赦されてしまうものなのです。その時表現した産物が、闇に光を照らすのか、やはり闇でしかなかったのかは、時を経て他者によって判断されるでしょう。

「研究は過去の知見を基に進むんだから、何を言っても良いわけではないだろう」という批判もあると思います。その通りです。しかしこれは、研究に限ったことではありません。音楽にも絵画にも歴史があり、先人の偉大な芸術家はその時代の移り変わりの中で作品を残しています。つまり、芸術は全て過去の知見に影響を受けていて、連続的であり、決して個々の作品が断片的で互いに素な関係ではないのです。ただ研究の進む速度が他の芸術に比べて異常に速いために、過去から現在までの変化量が大きいので、過去の知見が他の芸術とは比べものにならないくらい大きく感じてしまうのです。

しかし、ある程度は努力で賄われる芸術である研究ですが、どうしても一定量の才能が必要なことも事実です。僕はある程度の努力はしてきたつもりですが、他の人にもたくさん助けられたおかげで、結果として、すばらしい才能を有した研究者がたくさんいる今の環境に身を置いています。僕は研究を行うことが好きではありますが、おそらくこの人達のようなすばらしい研究者にはなれないでしょう。しかし、すばらしい研究者がいたことや、すばらしい研究が行える環境がそこにはあったことを伝えることはできます。僕は今回の経験や、今までの日本での経験を活かして、いつかは日本で自分の次世代の研究者を育て、彼/彼女が立派な研究を行う姿を見届けたいと、考えています。芸術家に自らがなるのではなく、芸術家を生み出す人間になりたいのです。自分で生み出せる芸術には限りがあるけれども、次世代の芸術家をたくさん生み出すことができるのであれば、そこからは自分一人では到底到達することのできないくらい多彩な芸術が広がるでしょう。そんな多彩な芸術が開く光景を、最も近くで見届けたいのです。芸術が人間から生まれる過程をすべて見届けることができ、しかも何度もそれを見届けるチャンスがあるという点は、研究の他の芸術にはないすばらしい点だと僕は感じます。

そんな理由で今の僕は、アカデミックの研究者になりたいと考えています。もちろん自分の研究で手を抜くつもりは全くないのですが(こんなことを書いていますが、負けず嫌いなので、すばらしい研究者になることを完全に諦めきっているわけではない 笑)、40年くらい経ってから、自分より自分の教え子が大活躍していることを、僕は今から楽しみにしています。


・・・やはり日本語の表現技術を磨いた方が良いですね 笑 これは伝わる文章なのだろうか。。読みにくい文章で失礼致しました。それでは最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
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